2016年3月1日火曜日

最後の日々

リサが亡くなった原因について、少し触れなければならないと思います。でもあまり知りたくないという人もいるかもしれませんので、そういう場合は半分ぐらい飛ばしてください。
※いろんなことを思い出しながら書いていたら、ものすごく長くなってしまいました‥

急変の原因は、肺からの出血でした。最初はじわじわと出血したため、発見されず、気づいた時にはかなりの出血量になっていたそうです。そのため呼吸困難、意識混濁ののち、昏睡状態となりました。ICUに移動し、人工呼吸器を着けたり、血が止まるような薬を投与してからも、それ以前の出血が多かったため、脳が低酸素状態となっていました。カテーテル当日のことです。
それからリサの意識が戻ることはありませんでした。ただその間、心肺停止になったことは一度も無かったようで、私たちはまだ回復の希望を持っていました。2日後に対光反射が消えた、と告げられるまでは。

対光反射が消えた、ということは、完全に脳の回復が見込めないということを意味するとのことでした。それどころか、いつ心臓も止まっても不思議はない状態だ、と。

息が苦しくなるほどの絶望でした。泣きながら、「これは夢だ、現実じゃない」とどこかで期待していました。ついさっきまで元気だったリサが、この世から消えようとしているとは、信じがたいことでした。誕生日の当日に退院して、翌々日はみんなで誕生会の予定でした。

それからの一週間は、自分自身も生きているのかわからない毎日でした。
じいじばあばたちも病院にかけつけ、リサの枕元に代わる代わる座りました。
面会時間を過ぎると、いつ病院から電話がかかってくるかも、と夜もほとんど眠れません。
病院にいる間は、みんなで泣いたり笑ったりしながら、リサのことを思いました。

意識不明になってから一週間、リサの心臓は動き続けました。もちろん薬や人工呼吸器の力を借りてですが、それでも先生も驚くほど頑張りました。リサの体は頑張れば頑張るほど、痛々しい状態になっていきます。それを見続けるのは、本当にしんどいことでした。でも最後まで見届けるのが親の責任です。最後は私たちが手を握る中、リサの心拍や脈はポンポンと跳ねるように速くなったり、止まるように遅くなったりしました。体の中ではギリギリまで生きようと闘っていて、全てを燃やし尽くして消えていきました。もう本当によく頑張ったね、としか言葉が見つかりませんでした。

考えても仕方のないことですが、もし風邪でもひいて、今回の入院が延期になったらどうなっていたのか。一ヶ月ほど延命されただけなのか、それとも何事もなく退院出来たのだろうか。

考えるのも嫌だったし、信じたくなかったけど、遅かれ早かれ、リサは短い命を終える運命かもしれないと薄々は感じていました。でも一方で、リサは何度も乗り越えてきたから、これからもきっと乗り越えていけると信じてもいました。

今回のカテーテルの検査結果は、いずれにしても好ましいものではありませんでした。フォンタンの循環を左右する中心静脈圧が、非常に高かったそうです。通常15未満が望ましい値ですが、リサの場合は18という高い値でした。この数値が下がらなければ、リサの体調は急速に悪化する可能性があり、そこで今回は検査後、バルーンを使い、狭くなった肺動脈を広げる治療をしたのでした。うまく広がったので、これで中心静脈圧が下がるかもしれない、と先生方はホッとしたそうです。毎回、肺出血がないことを確認して治療を終えるので、今回も何の心配もせずにリサは病室に戻ったのでした。

カテーテルが原因で亡くなったことは間違いありませんが、カテーテルの治療をする以外に方法はありませんでした。カテーテルは、侵襲の少ない治療法ですが、リスクは必ず伴います。これだけ何度もカテーテルをしていれば、徐々に血管に負担がかかってきてリスクは上がってしまうのです。

フォンタン後、とても元気でサチュレーションも90以上に上がり、絶好調に見えましたが、リサの体は、いつバランスが崩れてもおかしくない状態だったのでした。
むしろ、これまで元気でやってこられたのが本当にラッキーで、もっとずっと前にこの日が訪れていても不思議はなかったのでした。

ずっとこれからも元気でいて欲しかったなあ、と思うと同時に、この先成長するに伴って、いろんなところに不調が出てきて、どんどんしんどくなって、本人も周りも苦しんで徐々に消えていくより、元気で楽しいまま人生を終える方が幸せかもしれない、とも思います。こんなに早く別れが来るとは、思いもよらなかったけど。

ICUに入ってから、かわいがってくれた看護師さんたちが、次々リサに会いに来てくれました。NICUにいたのはもう2年以上前なのに、当時の看護師さんたちは、リサのことをよく覚えていてくれました。そして口々に「リサちゃんは、本当に重度の心臓疾患ですが、誰よりも元気で大きな声で泣いていました。そしてニコニコよく笑いました」「ここまで頑張ったなんて、頑張りすぎるぐらい、頑張りましたよ」と言ってくれました。むくんでパンパンになった顔を見て、「私たちの知ってる、赤ちゃんの時の顔に戻りましたね」とみんなで笑いました。
夜、眠れるまで絵本を何冊も読まされましたよ、と大きくなってきてからの小児病棟の看護師さんたちに言われました。「読み終わったら、また次の本を出されて。でもリサちゃんにもたくさん読んでもらいました」。
 ICUには、リサが初めて手術を受けた頃(生まれてすぐ)からいる看護師さんが何人もいて、テキパキと働きながらも、「この前元気に上(小児病棟)に戻っていったばかりだったから、やっぱりこんなリサちゃんを見るのはキツイです」とぽつりと漏らす人や、「フォンタン、頑張ったのにね」と涙ぐむ人もいました。

リサを家に連れて帰る前に、ベッドで沐浴をさせてもらいました。私とパパと、パパ方のじいじの3人で、リサの体を洗い、その後ベッドに寝かせて頭を洗いました。リサの体は、これまでの手術の薄い傷跡と、今回の入院での点滴やドレーンの、もう治らない傷跡がたくさんありました。目が開かないようにと軽く絆創膏を貼ったところが、徐々にかさぶたのように浮き出てきました。
家に着いたら、リサの表情はとても穏やかで、これまで見たことがないような澄ました顔になりました。全てを悟っているような、仏像のような表情でした。 
その夜は、久しぶりに親子3人で眠りました。一週間、ほとんど寝ていなかったけど、やっぱりこの夜もよく眠れませんでした‥。
その後はお葬式の準備などで、慌ただしい日が続きました。

4 件のコメント:

  1. 本当にいろんなことをリサには教わったね。港北のIKEAにクリスマスツリーが無くても、諦めずに三郷のIKEAまでクリスマスツリーを買いに行ったことや、自治会長をやったこと、思いつきで飯能へ行き帰りの海老名サービスエリアで好物のしらす丼食べたことや、リサが居たから出てきた行動力など、本当に最後まで親孝行な自慢のリサだったね。何処へ連れて行っても恥ずかしくない人間力が、リサには備わっていたね!

    返信削除
    返信
    1. パパの行動力のおかげで、リサは悔いの少ない生活を送れたね。感謝感謝

      削除
  2. 別の投稿にもコメントさせて頂きましたが、自分のこどもにおきかえて考えてみるだけで胸がつまり、ご両親にかける言葉もありません。
    言葉では表現できない感情、おもいだと察します。ただただ悲しいです。
    そんな状況下、詳細な状況を書き記すことは、非常に苦しくて辛い作業だったと思います。ありがとうございました。
    どんな言葉をかけても、悲しみや寂しさをなくすことはできませんが、ゆっくり少しずつでも、ご家族が前に進めるようになることを、心より祈っております。

    返信削除
    返信
    1. 気にかけてくださって、ありがとうございます。
      大事なことも、どんどん忘れていってしまうんですよね‥ リサに関することは、出来るだけ覚えておきたいので、書き残しています。辛くて書けないこともありますけど‥。

      削除